モノの値段

100円ショップが出始めた頃、「すごい!これが、こんなに安く買えるなんて!」と、なんだか得した気分で購買欲を満たしておりましたが、その後自らが製造業を営む様になって、原価や人件費やらを注視する様になってから、ちょっと怖くなってきました。

少し前、遠方の出先で爪を切らなければならない状況(どんな状況なのか?は置いておいて)で、「爪切り」を買いにコンビニ、スーパーを覗くも、売っておらず・・・。
100円ショップへ入店。
なんと!立派な「爪切り」がぶら下っているではあ~りませんか!
即購入・使用・スッキリ・・・した所で、ふっと「これを100円で売るには、製造原価はどのくらいなんだろう?」と思い立ち、ちょいと計算。
結果「イヤイヤ、材料費を安く見積もっても、加工時間に伴う人件費は、日本人の最低労働賃金では無理!無理!利益出ないよぉ」と言う結論。どう考えても国内生産での製造原価が合わないのですよ。
金属関係の商品しか試算出来ないのですが、きっと他の商品も日本生産ではあの値段では利益が出ない物が多いのでは無いでしょうか?

と考えると、もしも100円ショップが無くなってしまったら、

国内生産による物価上昇で家計費増大。
生活困窮者が続出。
社会保障費(生活保護費)も増大。
おまけに人口も減っているので税収は減る一方。
家計費増大により過度な課税も出来ず、社会保障は破たん。

ちょっと大げさかも知れませんが・・・恐ろしいことになりそうです。

100円ショップのみならず、洋服や食料品も「安すぎる」と思うんですよね。
そのほとんどが海外生産or輸入品によるものですよね。
収入がさほど変わらないのにモノの値段が下り過ぎではないんですかね~。

子供の頃なので良く分からないのですが、
1980年代頃に「爪切り」が100円で買えたでしょうか?
外でも着れる新品の洋服が500円で買えたでしょうか?
有名ハンバーガーが100円で食べられたでしょうか?

平均年収は少しずつ上がっているのに物価は安くなり、供給過多(デフレ)。

当然ですね。


今まで我国の歩みは、こんな感じでしょうか?


戦争が終わり、「高度経済成長」という名のもとで、沢山生まれた人達が、沢山の人の力で、沢山の便利な物を作り始めました。
みんなのお給料も安定して貰える様になったので、生活レベルがどんどん上がって行きました。
しばらくして生活レベルが一定の水準に達すると、今度はみんな「愛する家族の将来」の為にお金を貯め始めました。
そこで、お給料はあまり変わらないので、日用品や食品を出来るだけ安い物を買って余剰分を貯金しました。
すると、企業は沢山作った物を何とか売ろうとして安売り競争が始まりました。
企業は価格を安くしながらも利益を得る為に、「製造原価」を下げる努力をしました。
材料を限界まで買いたたき、設備投資をして生産能力を限界まで拡大・向上しました。
そして最終手段が「人件費削減」です。
しかし、この最終手段はすぐに限界が来ました。
なぜなら、
国が定める最低賃金制度があるので拘束時間により限界が決まってしまう。
人自体を減らすと生産能力が落ちる。
人力を補う為の設備投資にもコストがかかるので効果が無い。

そこで企業は考えました。
「海外に工場作って国内の10分の1(例)の人件費で現地の人使えば、生産能力そのままで原価下げられるよね。または、加工品をそのまま輸入しちゃって関税を含めても販売価格が国内製品より安ければ、たくさん売れるよね。ワーイ!ワーイ!」

という訳で結果的に・・・。

国内で生産しても利益がでないので、国内生産の中止・国内工場閉鎖。
失業者の増加。
社会保障費の激増。
税収の低下。

現在に至る。



「愛する家族の将来」の為の節約が、結局自分の生活を困窮させる結果となってしまったとは皮肉なことです。

最近我がお国は、外国観光客が生み出す「収益」に期待している様ですが、そんなのは「円安と、<とある大国>のバブル経済」の恩恵であって、長く続く訳ないですよね。
私は「○○ノミクス」の意味さえ分かりません。


「じゃあどうすれば?」と言うと。

国内生産品の単価を基準に、輸入品の関税を調整し(もしくは国内生産品の課税を低くし)、輸入品と国産品の価格差を少なくした方が良いと思うんですよね。

後は、国内消費品は海外生産・輸入品に頼って、「高品質」で「高付加価値な物」を国内生産し、海外に輸出するとか・・・。

何とかしなければなりませんよね。
日本の素晴らしい「モノづくり」を絶やさない為に。

国の代表である政治家の皆さんに託すしかないんですがね。
なので、とにかく皆さん投票に行きましょう~!

2016年06月24日